冬の言葉

冬至へと向かう時間

一年で最も闇が深く

夜空の月や星たちの煌めきが

天から降り注ぐように

美しい季節になりました


今年も残すところ僅かとなり

今年最後の

また平成最後の…という言葉を

よく耳にするようにもなりました


終わりと始まりは

いつもきっぱりと線が引かれるものではなく

寄せては返す波のように

重なりながら

その風景を変えていくけれど


人はどこかで

そのちいさな区切りの点というものを

自分なりに感じているのかもしれません


11月の半ばに

最愛の祖母が天に召されました

享年103歳

大正生まれの祖母は

戦後の時代を必死に生き抜き

昭和・平成を見送って

静かにこの世を去りました


幼い頃 祖父母宅のすぐ近くに

住んでいた私は

頻繁にひとりで遊びに行き

当時 着物を縫う手仕事をしていた

祖母のそばにちょこんと座り

器用に針と糸を操る手元をじっと見ているのが

好きでした


美しい反物や帯の端切れをもらっては

自分も同じように

大切にしていたお人形の服を

見よう見真似で作ってみたりしたものでした

今も手仕事が好きなのは

そんな祖母譲りなのかもしれません


そのころ

祖母が私宛に書いてくれた一通の手紙があり

それは数十年経った今も

私の大切な宝物です


思えばちょうどいまの私の歳のころに

綴ってくれたその手紙をあらためて開いてみると

祖母の優しさ素直さ

そして本当に愛に溢れた優しい言葉を

すぐそこで微笑みながら

語りかけてくるように感じました


死が特別なことではなく

日常の一部だった時代の日本に生きた祖父母は

陽がのぼり 風が吹き

月が美しく 星が瞬き

花が咲く

今日一日を無事に過ごせることが

どれだけ恵まれたことであるかを

知っていたのだと思います


森羅万象 万物のあらゆるもの

日常の些細なことにも感謝しながら

生きる姿は生涯変わることなく

「無垢」という言葉を

そっと私の掌に手渡して

天に召されたような気がします


そして

わたしにとってその出来事が

季節を静かに交代させるような

ひとつの区切りの日であったようにも

感じています



戦後 社会は整い

物質的に豊かになり

多くを所有することが成功であり

幸せだとされてきました


けれども

ふと気が付くと求めているものは

幸せではなく右にならえの

つまらない見栄や安定で

心は少しも満たされていない

そんな空虚さを感じ

いつしか

物ありきの時代は終わりを告げようと

している気がします


物を手放し身軽になった私たちに

時を得たようにやってくる

新しい時代は

どんな景色を運んでくるのでしょうか



冬が来るたび思い出す

大好きな詩があります

 高村光太郎氏の~冬の言葉~


この詩の最後にある

「一生を棒にふって人生に関与せよ」

という深すぎるほどの言葉

その捉え方は人それぞれかもしれませんが

今 その言葉の向こうに見えるものは

ただただ

自分らしく生きることの大切さであるように

感じています


祖母のように無垢に生きるには

まだまだ未熟ではありますが

日々を大切にしながら

いつかその場所にたどり着けたならと

思います



最後に

今年も多くの方にこの場所を訪れていただき

感謝の想いが絶えません

書きたいときに書きたいことを淡々と綴る

その我儘なスタンスは

今後もきっと変わらないと思いますが

お付き合いいただけると幸いです


新しい年が皆様にとって

幸多き年となりますよう

心からお祈り申し上げます

大好きな詩を以て

僭越ながら感謝の言葉に

代えさせていただきたいと存じます

ありがとうございました


Lokahi*



冬がまた来て天と地を清楚にする。

冬が洗い出すのは万物の木地。

天はやっぱり高く遠く

樹木は思い切って清らかだ。


虫は生殖を終えて平気で死に

霜が降りれば草が枯れる。

この世の少しばかりの擬勢と

おめかしとを冬はいきなり蹂躪する。 


冬は凩の喇叭を吹いて宣言する

人間手製の価値をすてよと。 

君等のいぢらしい誇りをすてよ 

君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。 


冬が又来て天と地とを清楚にする。 

冬が求めるのは万物の木地。 

冬は鉄碪を打つて又叫ぶ、 

一生を棒にふって人生に関与せよと。 

~高村光太郎『冬の言葉』~