遠く瞬く光のように
この秋は本当に穏やかで
あたたかな日が続いています
足早に過ぎ去った春や
騒がしく終わってしまった夏の光を
まるで取り戻すかのように
相次ぐ災害の中 停電や断水に見舞われ
途方に暮れて見上げた空に
満天の星の光を見つけたとき
天から降る一滴の雨に
水の有難さを知ったとき
絶望の中に身を置かれ
自然界の恵みにようやく気が付き
愚かにも畏敬の想いを取り戻し
やっと天から穏やかな日々を授かっている
そんな気がしています
四季折々の風景を
カメラを片手に楽しむ時間さえも
ままならなかった
そんな春夏の季節のなか
一枚の写真と一冊の本に出会いました
「ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。」
幡野広志 著現在35歳の写真家である幡野さんには
奥様と2歳の息子さんがおられます
そして 34歳のときガンの宣告を受けられ
余命3年と医師から告げられたそうです
一枚の写真に出会ったのは
そういう経緯を知る以前のこと
小さな男の子がおもちゃを片手に
右手を挙げてほほ笑むその写真が
本当に切ないほど優しくて
なぜだかそこから伝わってくる
「写す人」の深い愛情に心が張り裂けそうに
なったのでした
その後 その写真を撮った人が
幡野さんであり
そこに映っている男の子は
2歳になる愛息子の優くんであることを知り
ほどなく出版された著書を拝読し
そこにある言葉のひとつひとつが
心に深く響くのを感じたのでした
当初は父が息子に遺す言葉として
この本を書かれたそうですが
多くの人が手に取られ
瞬く間にベストセラーとなったそうです
私は幼い頃に両親の離婚を経験しており
父親の愛情というものを
ほとんど知らずに育ちました
むしろ弟や妹を持つ長女として
時には父親代わりの役目さえ
自分自身に課せていたのかもしれません
この本を手に取ったとき
おそらくそんな自分の中に欠如している
「父親の愛情」というものを
言葉の中に探していたように思います
けれども
そこにあったのは むしろ現実的で
厳しい言葉でありながら
深く共感できるもので
「父親として」というよりも
一人の人間として命の尊さや
生きる力を説いたもの
そんな風に感じたのです
ああしなさい こうしなさいと指図して
導くどころか
自分の人生を選ぶ自由すら奪う
お金や物を与えるだけがすべてで
自分で何かを創り出したり
得る術や喜びを
奪っていることに気がつきもしない
結果 壁にぶち当たり乗り越えられず
命の大切さに気付くことなく
自らの尊い生命を絶ったり
人の心や生命を粗末に扱う人に育つ
そんな哀しい親子関係が多い時代で
限られた時間のなか
一番必要であり大切である
「生きる力」「生命の尊さ」を
我が子に言葉で遺そうとする
その深い想いに
本当に大切な人
愛する人に対する姿を見た気がしました
父の愛情を知らずに育った私には
それが父としての愛であるのかは
わかりません
けれども
息子さんの姿をカメラに収め続ける理由は
自分がこの世を去ったあと
その写真を見て
自分が本当に愛されていたことを
息子に知ってほしいから
そう綴られた言葉を見たとき
心が締め付けられるような想いになりました
それは
幼い子供を遺してこの世を去る人への
悲哀や薄っぺらな同情などでは一切なくて
自分の知らない 父という存在の深い愛情というものを
初めて感じた気がしたからです
永い一生であっても
親が子供にしてあげられることや
与えられるものなんて
本当は僅かなのかもしれない
むしろ子供から親が受け取るもののほうが
はるかに大きくて深いのかもしれません
そのなかでどれだけ愛情や生きる力を
与え合えるのか
親が子に
また子供が親に与えられる
もっとも大切なものは
形となって残らない
永遠にほのかに照らす
遠く優しい光のようなものかもしれません
生命の尊さを綴られた言葉には
ふと大好きな星野道夫さんの面影を
髣髴とさせるものも感じました
人は生きること 生命の儚さを知って初めて
本当の優しさや強さを
自分の大切な人に
与えることができるのかもしれません
何度も読み返してみたい
大切な一冊との出会いでした
* * *
お父さんは優くんにとって、遠くでぼんやりと光る
灯台のような存在でありたいです。
ぼんやりとした光は明るいときは見えなくても、
暗い海で不安になったときに安心感を与えます。
お父さんは優くんにとっては、子どものころにほしかった親では
ないかもしれません。
それでもつらくなったり不安になったりしたときには、
お父さんの言葉を思い出してみてください。
もしかしたら心の支えになるかもしれません。
そしていつか優くんも大切な人の光になりますように。
2018年8月8日
幡野広志
0コメント