春の音

雪の舞う日は多いものの

積もることはないと油断していた矢先

一夜にして窓の向こうに

まっ白な世界が広がって慌てた

週明けの朝


けれどその1日後には

あたたかい春の陽射しと風が

道脇に残った雪を

まるで嘘のようにあっけなく

すっかり解かして通り過ぎて行きました


眩しい光を忘れた瞳は

春の陽射しの煌きに

思わず瞼を閉じてしまう


けれども再び見上げた空に

広がり始めたやわらかな春の色が

寒さで頑なになった心を

そっと包んでくれる気がしました


冬から春へ

ふたつの季節が交錯しながら

行きつ戻りつする時間は

こうしてまだしばらく続きそうです


日本列島の一部に吹いた

春一番の知らせは

季節が確かに歩みを進めていることを伝える

やさしい手紙のように感じて

心がほっと緩みました


この冬は野菜が不作で高騰し

時折取り寄せをさせていただく

有機野菜のお店でも

獲れる野菜は例年よりかなり小さく

収穫できる量は全体の3分の1まで

落ち込んでいるそうです


それでも注文を下さるお客様に

出来る限り届けるため

自分たちが口にする機会は当然減り

いつもなら捨ててしまうような野菜も

大切に食卓に並べられているのだそうです


そしてそのことが

何故かとても心地よいのだと聞きました



豊作の年は市場価格が下がるのを避けるため

わざと廃棄処分をする

味には何の損傷もない野菜や果物が

少し見栄えが悪いとか

ほんの僅かな傷があると言っては

どんどん捨てられてしまう


そんな社会や暮らしが当たり前になっている

今の日本には

こういう機会が必要なのかも知れないと


そう語られる言葉を受け止めながら

そこにある意味の重さを感じました



この世界には

明日 食べるものさえない国があるのです

自然の恵みから与えられる安全な食材を

ひとつたりとも無駄にせず

すべての人がお腹いっぱい食べられることを

心から願わずにはいられません



本来ならば

冬は寒く 夏は暑いのが当然で

そうあることが自然界には望ましいのです

そして それが私たちの暮らしの豊かさにも

繋がるのが本当ではないかと思います



天候や気温に左右されず

AIが映し出す画像で成長を管理し

特殊な部屋のなかで

人工の土と光によって

1年じゅう栽培される

同じ形、同じ色のトマトがあることを知り

少なからず驚き

それを拒んでしまう気持ちを抱きました



けれども

それが自然の大地と太陽のもとで育ったものと

一緒に並べられたとき

果たして

その違いを自分の目や感覚で

判断できるのだろうかと

その迷いの方に不安を感じてしまうのです


いちばん大切なものは何だろう


大地の匂いと太陽の温もりを知らないトマト

それを食べた人間の心からは

かけがえのない何かが

少しずつ

消え去っていくような気がして

切なくなりました


外側にある変化よりも

何かを選びとるときの

自分の内にある感覚に

絶えず心を傾けなければと


過ぎ去ろうとするこの冬の

厳しい寒さが残してくれた何かを

忘れてはいけないと感じます


* * *


雪と寒さの被害が

これ以上広がらないこと

そして

被災された方々の1日も早いご回復を

祈りたいと思います