光の色を纏う

立春を過ぎ 暦の上では春となりましたが

冬の寒さはまだまだ厳しく

身を切るような風の冷たさに

春までのまだ遥か遠い道のりを感じます


小指の爪先ほどの

雪柳の花が咲いているのを見つけた朝


その輝くような可憐な白さに

思わず立ち止まり

冬の厳しさゆえに

春の芽吹きがより一層愛おしく思えることを

あらためて感じていました



都会に住んでいると

一晩中どこかに灯があって

本当の闇の暗さを忘れてしまうことが

あります



冬の星たちや月の光が美しく見えるのは

冷たく澄んだ空気と

冬の闇の深さがあってこそ



睦月の終わり

『赤い月』と呼ばれた皆既月食

たくさんの人が夜空を見上げました


けれども月はいつも同じ色ではなくて

星たちもそのひとつひとつが

固有の光の色を放っています


暗闇を知ることは

光を知ること

光を知ることは

色を知ること


現代のように人工的な色彩が無かった時代

古来の人々にとって

空の色や草花 実の色

自然界に生まれる色が

どれほど輝かしく尊く

目に映っただろうと思います



人々はそこに神の存在を感じ

その色をなんとか留めたいと願い

手元に置いたり

衣や身体に擦り付けたことが

染色の始まりだと言われています



『色を身に纏うことで護られる』

そんな風に信じられていた時代には

感覚を研ぎ澄ますことで知ることのできる

色というものの力や存在が

今より遥かに大きく 

人々の喜びに繋がっていたのだろうと思います



そういったささやかな喜びを忘れてしまった

私たちにとって

この冬の厳しさは

どこかに置き去りにしてきた

大切なものを

思い出させてくれているような気がします


原始の感覚

自然本来の姿


移り変わる季節の色を

ひとつひとつ丁寧に掬い上げながら

そういったものにもう一度目を向け

立ち還ってみたいと感じています


*  *  *


雪の中でじっと春を待って

芽吹きの準備をしている樹々が

その幹や枝に蓄えている色を

しっかりと受け止めて

織の中に生かす


化学染料は脱色することができるが

植物染料は脱色することができない

自然が主であるか

人間が主であるかの違いであろう


~『色をいただく』色を奏でる・志村ふくみ~